昭和40年6月18日 朝のご理解 ★
親教会で総代会がございました。私も出席させていただいたんですけれども、問題になりましたことの中に、んー今度、んー、三井教会がおかげを頂かれてから来年が六十年になる、ついては歴代総代さん方の慰霊祭をしたらどうかといったような話がございましたんですよ。それでもう、親先生の覚えておられる限りずーっと、そのこう拾ってみたんですね、北野の時代から善導寺にお見えられてからの、二十名あまりございました。その中にですね、総代さんのあとが、残っておるのが岸先生のところと、あそこの本家であります岸まんじゅうやだけです。
後はもう全然信心が絶えておるだけでなくて、家まで絶えておるところがいくらもあることですね。
私はもう何か、けれども本当にこう、総代でもさして頂くちゅうからには、やっぱりめぐりを感じるですね、信心ができとるけんじゃないですばい。もう本当に総代んでもしてからですね、やはりお徳をつけさしよう、家のもお徳をつけさしょうというような、思いが、神様のおありになるんだけれども、その辺がいつの頃からかこう変わ、そのただ信心が熱心にできられるから、あの、総代をしておられる、といったような、あー、ふうな頂き方になってくるところじゃなかろうか、とくにこうやって、んならお道の教師なら、お道の教師んでもお取立ていただくからにはもう、大変なめぐり、これはもう、私自身が感じるです。ほんと、たとえば桂松平先生のところでも、石橋先生のところでもです、甘木の安武先生のところでもです、ね、やはりご自身が大変なめぐりの深さというものを自覚しておられるお話が沢山残っておりますようにです、私どももそれを感じます、ね。
ですからもう、そこんところ、本当におかげを頂かして頂かなければならないということ、それから次にですね、総代さん方が一家を挙げての信心ではないということです。今度、おー、二十日の日に久留米で、久留米の地区の、十何ヶ所の総代の会がございました。
そのテーマがやはり総代の内に何故信心が続かないかという、これは私は私の思うのに、総代に限らないですね。たとえば久留米のことを言うただけでも、ね、もう信心そのものが続いてないですもん、ね、総代会に限ったことだけじゃないです。今日でもその特に総代としての御用まで頂かれた方達がです、一時は本当に、えー、やはり初代、先代の時代にはおかげを受けられたかて、だからこそ総代の御用もできたんですけれども、どうして後に信心が残ってなかったのか、あー続いていないのか、いわば現在では種も、種もほろけもないふうなことになっていくのはどういうわけなのか、生神金光大神は家繁盛始祖Hん繁盛の道を教えると仰る、祝いめでたの若松様よ、枝も栄える葉も茂るというではないか、生神金光大神は家繁盛子孫繁盛の道を教えると、結局はその道をお互いが体得し得なかったんだといいうこんなるでしょう。結局、後利益信心に過ぎなかったということ、おかげ信心に過ぎなかったということ、お互い総代さん方に限らんのですけども、椛目で、のご信心を頂かれる方達はこういうある意味合いにおいてのおー、ひとつの手本がです、あるのでございますから、いよいよ生き神金光大神の道を信奉させて頂けば、家繁盛、子孫繁盛の道が開けるのだと、親の代より子の代、子の代より孫の代と日勝り、月勝り、年勝り代勝りと、ね、のおかげを頂いていくということが、そういうおかげの頂けれる道にご縁を頂かせていただきながら、その道を体得し得なかった、ただ頂いたのはおかげだけだった。ということ。
ただ取次者のお徳、金光大神のお徳によってです、確かにおかげだけは頂いてきたんだけれども、その中心が亡くなったときには、いわば信心までなくなってしまっておるということ、その点私は大変心強く、また有り難いと思うことはです、椛目はもうほとんどがですね、家族を上げて信心しておられるという事実があることです。これはもう他の追従を許さないと思うです、これで知っとる限りで、これはもう不思議です。ね、
いわば、軒家数は少ないかもしれませんけれども家族をあげての信心をしかも熱心にしておられると言うことです、これは総代のさんの家だけじゃありません、ここの全部がそうです。もうここで三年もたとえば中心なら中心の信心をしよりますと、家族を上げての段々になってくるです、反対しょったやっどんが、ね、不熱心であったのがです、なんとはなしに熱心にならなければならない、いわば信心さしてもらわなければバカらしいといったような雰囲気が家族に段々出来てくることです。
それでとにかくその、総代の現在の椛目の色々な場合でもそうですもんね。
最近、上野さんとか、島田(?)さんとか大変熱心な総代さんが亡くなられたけれども、二人ともう後は絶えてしまっているんですからね、信心が。これもつい最近のことなんですけれど、ああいう、いわば、あー教会の中心になっておかげを受けておられた総代さんのうちじゃそれなんですから、何十年前の話じゃけんなおさらのことだと思うんです。
そこでその教会じゃない、総代さんのたとえば師弟のです、息子や娘達やらをです、親父ばっかりが参らんな娘達を親父の代わりに参るらすることが話しに出たんですけれどもね、そんなっこっちゃいかんと思うですね。
ほうら一生懸命参らにゃいかん、中心が、一生懸命参らんにゃいかん、そして参らにゃバカラしかと、家の親父を見てみろ、家の母を見てみろと、やっぱ参らにゃ馬鹿らしいというようなおかげをやはりめいめいが頂かなければいけないということ、ね、家のお父さんが変わりに一生懸命参りよるばってか、それではいかんです。
それで子供がついてくるはずはないです。ね、もうすることなすことから、もう家の父の思い方が全然違う、ああいう思い方になれたらどんなに楽だろう、そういうおかげをめいめいが受けなければ、ああいう言い方がでけたらどんなにか幸せだろう、と。ひとつ難儀なら難儀というものの見方においてもです、しかもそういうような思い方、そういう見方がです、おかげを確かに頂いておるということ。この事実があるならついてこんはずはないです、誰だって欲はあるのですから、ばからしかもん。ね、その手本私、椛目ではですね、家族が勢を揃えて段々信心がでけておるからいよいよ、これをです、よりおかげにしていかないといけないということを感じました。
そんなこと私今朝思わせて頂いてから、ご神前にでらせていただきましたら、『善導、大橋、合楽』と頂きました。今度の御造営になりますところは、合楽ていうです。あちらは、大橋町なんです。善道寺町の大橋町です。いわば合楽町なんです。大字合楽なんです。もう神様のもうとにかくその、どうにもこうにもできんような働きをね、私どもの上に頂いておるなということを感じます。
私共思うんですよ、ね、私共椛目にご縁を頂いたと、椛目でお導きを頂いた、いわば善導のおかげを頂いた、善い導きを頂いた、なんなに教でなくてよかったと、なになに教会でなくってよかった、ほんとに金光教の、しかも椛目にご縁を頂いたということが有り難いことかったてことをまずはそう思わなければいけませんよ。
ね、これはもうそれこそ天地悠久の昔から、椛目でこういうようなおかげを頂ける、合楽でこういうような御用ができるということをです、もう神定めのまにまにそういうおかげを受けておるということです。
そこにお互いが縁を頂いたと、ここんところをですね、本当に有り難く思うたら、もっちと有り難い信心ができます。
ね、善導を受けた、もちろん、大橋ということは神様と氏子の世界を取り結ぶ所、その橋をいわば御結界とも御取次ぎとも神様は教えてくだいます、ね。
善導を受けてです、いわゆる大橋を渡らせてもろうて、合楽です。神も喜び氏子も喜べれる、両方の者が神からも氏子からもです、お礼の言い合い、拝み合い、合掌し合い、ね、親にかかり子にかかり、あいよかけよで合楽になっていくことのですおかげなのです。その合楽のおかげを頂かしてもろうてはじめてです、それが家の徳にも身の徳にもならやぁ、子供たちもそうならなければ馬鹿らしい、子孫の者が。
皆さんそこのところをですね、いつものことですから、どうぞあの善導、大橋、合楽なんていう言葉をです、こじつけたようなふんだら話じゃったらいかんです。それから天地悠久の昔からです、神定めてあることなのですよ。ね、そこの総代を一人さして頂いた。そこの幹部を勤めさしていただいた、あそこにご縁を頂いておったということなんです。ね、それがです、ね、たとえば皆さんだけではない、皆さんの家族だけではない、ほんとに皆さんが合楽のおかげを頂いて、神様にも喜んでいただける、人となりが身についてくるだけでではなくって、いよいよそうなるおかげを頂かしてもろうて、自分の周囲の難儀な氏子の人達のためにです、善導のお役を勤めさしてもらわなければならんということです。
あなた方が助かっただけじゃいかんのです、世の中にはまだ、ね、椛目にご縁をいただなければならなん人たちがです、もううようよしておることです。
ね、ためにはまず、私自身がおかげを頂いてです、ね、やはり信心しなけりゃばからしかと、信心しておる家庭は違う、人は違うとというようなです、おかげをまず身につけなければだめです。
中途半端に終わったんではです、ね、私共が昨日お話し合いをいたしました、そのー、おー、どこの、これは善導寺に限ったことじゃないですけど、総代さんの後が続いていないということ、しかもたねもほろけもなかごとなっとる、ところががおおいということ、ね、そういう事実からです、その原因というものを追求するときにですね、金光大神のおかげを受けてきたけれども、お取次のお徳によっておかげを受けてきたけれども、金光大神が教えられたところの子孫繁盛の道を体得していなかったということになるのです。
ね、道を教えるのじゃと仰るけれども、道を習ろうてはいなかったということ、ね、そこんところを皆さん本気に焦点を置いて、信心のけいこをなさり、一事が万事に大橋、ね、取次ぎのおかげを頂かしてもろうて、子供たちでも孫達でもね、お取次のおかげと、お取次のごひれいというものをよくさせて頂いてお取次ぎを頂くということがこんなにも有り難いのだということをです、家族中のものにしみ込んで、一家をあげての御取次ぎを頂いてからの家庭ということにならしてもらい、おかげになり、そこに合楽的なおかげにならしておらうという、ね、そこのおかげを頂かしてもらっておればです、そういうおかげの頂ける道をです、いつまでもどこまでもです、残しておかなければならないということです。
どうぞもう一辺、ほんとひとつ、善導、大橋、合楽という、これがまあいうならば天地の親神様と私たち氏子の上にです、神様が助かると思いよる、私共が助かりたいと思う、その助かりたいと思う者同士がです、大橋とも、こう大橋のおかげというものが無かったらば、双方ともが助かることが出来んのである。
そこに縁に結ばせて頂けるところのです、働きがなされてこなければいけないと思う。家族の上においても、親戚の上においても、ね、自分の周辺の難儀な人達のためにもです、どうでもここんところの椛目におかげを頂けば、必ず、善い、善導のおかげを頂けば、善いお導きを頂けば、お取次ぎをいただけば、お取次ぎを頂いての毎日の信心生活になってさえいけば、必ず合楽のおかげがいただけますというようなものを身を持って実証していかなければならないと思うのでございます。
(終わり)